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享 「カーメンカーメン」プレジデント

享年 96。

うちのじいちゃんが。。

死んだ。。。

突然の死は、流石にショックだった。。

歳が歳なんで後悔はない。

むしろ幸せな人生だったと思う。。

俺はじいちゃんを尊敬していた。。

うちのじいちゃんは元校長先生。。

地元に亀山は多いけど、大概は先生の所ってだけでうちは認識される。。

よく「なんだ、あんた先生の所の子か!」って言われた。。

なんだか嬉しかった。。

じいちゃんの事を思い出した。

子供頃のうる覚えの記憶だが、うちじいちゃんは俺が保育園の頃、毎年クリスマスにサンタの格好をして来てくれてた。。

当時は自分のじいちゃんなんて思ってなかった。。

子供が好きだったんだ。。。



玄関に大きな蛇が入ってきた時、棒で物凄い勢いで戦っていたのを覚えている。。

じいちゃんって強い。。。

コロと言う雑種の犬の散歩を毎日していた。。

初めの頃は、首輪をグイグイ引っ張って散歩していたけど、だんだん犬に振り回わされていて、じいちゃんが散歩されていた。。。

大丈夫か?じいちゃんって思った。

中学、高校、大学に入るとめっきり記憶がない。。

就職してからの事、当時の首相の小泉さんから、過去の経歴を評価された表彰状が届いたと母が持ってきた。。

俺に見せて欲しいと。。

すげぇよ。

じいちゃん。。。

就職して実家に帰る時は少しだが、会話するようになった。。

元々植物が好きなじいちゃん。。

日本庭園の我が家。

盆栽も好きだったが、だんだん手がかけれなくなって、枯れて行く物が多かった。

そんな中、毎年裏庭でゴーヤを作ってくれて俺にくれた。。

毎年せっせと作ってくれた。

俺が植物に携わる仕事をしている事が嬉しかったのだろう。。

結婚して、嫁や子供も見せれた。。

子供には引かれていたが、じいちゃんは笑顔でいつも子供を見つめていた。。

家を建て、俺と嫁は家の表札に悩んでいた時の事。

オリジナルの表札にしたくていろいろ探していたら、手書きの物を表札できると知った。。

俺はそれをじいちゃんに、頼みたくて実家に帰った時に聞いてみた。

初めじいちゃんは断った。

「字が綺麗に書けならいから、やめてくれ」的な事だった。

確かに達筆だったじいちゃんの字は小学生並の字しか書けなくなっていた。

でもそんなんはどうでもよかった。

「.まぁ上手に書けなくてもいいからさ。気が向いたら書いてよ!」

と言って去った。。

数日後。

「こんなんのしか書けないけど」と、書いてくれた。。

嬉しかった。

嬉しかった。。

俺は昔から、こんな感じのガラの悪さで、なんかある度に「なんだ!先生の所の子か!」って言われる度に、じいちゃんの名前をケガした。。

毎回ながら、悪い気はしていた。。

大人になって就職して、じいちゃんの知り合いって人に言われた。

「あんたはじいちゃんの昔の頃にそっくりだよ!」

なんだ。。

じいちゃんも、昔はファンキーだったんだ。。

嬉しかった。

嬉しかった。。

嬉しかった。。。

そして最後の会話は先月。

「じいちゃんもばあちゃんも体に気をつけてね。今度はゴールデンウイークに子供らと嫁が帰るから!よろしくね!また来るね」

これが俺がかけた最後の言葉になった。。

通夜は火葬場が空いていないからと言う理由で少し後になった。

先に顔を見ると言っていち早く帰った兄貴。。

様子を見ていろいろと様子を聞いてくれて段取りを教えてもらえた。

長男だからと言う意識からか、その辺は流石だと思った。

兄貴は初の子供をGWに見せる予定だったらしく、見せれなかった事を凄く後悔していた。。

俺が帰ってじいちゃんのアルバムをさばくっていたら、兄貴も見出して、泣いてた。。

じいちゃんの写真を見てると、そこに写ってるじいちゃんはみんなまんべんの笑顔。。

ダンディーなじいちゃんがそこには沢山写っていた。

ばあちゃんに「ヘェ~ こんなところも行ったの??」とか聞いたら。

「そこはね凄いたくさん貝があってね~」とか当時を思い出して話してくれた。

はっきり言って呆けてたと思っていたばあちゃんが、鮮明に当時の事を語った事に凄く驚いた。。

ばあちゃんがポツリと

「おじいさん、最後はあっけなくいっちゃった。。ほんとあっけなかったなぁ」と。。

たぶんまだまだ生きる。そんな意思をばあちゃんには示していたんだろう。凄く強い人だったんだろう。
そんな人が自分より先に逝ってしまったのでそんな風に思うんだろう。。。

ばあちゃんは完全に呆けてなんかいなかった。。

アルバムの最後のページにあった写真。。



来てくれてたんだ。。。

俺は全然気づかなかった。。

写真を見た親父も不思議がっていた。。

じいちゃんが死んだって聞いた次の日の朝。

市場に行く車の中で。。

泣いた。。。

そしてその写真を見た夜。

泣いた。。

恥ずかしながらこの歳になるまで俺は毎年自分の誕生日にじいちゃんからお祝いをもらっていた。。

毎年毎年忘れる事なく。。

くれた。。

俺は。。。

嬉しかった。

嬉しかった。。

嬉しかった。。。

嬉しかった。。。。

ウルサイだろうと思って俺は子供らを置いて来たが、連れて来た妹と兄貴。。

しんみりしがちの空気を無知な子供らは変えてくれる。。

普段どうりに。。

親父も母も救われただろう。。。

子供って。。

いつでも必要。。

まだ話しておけばよかったと思う事は多々あるが。。

凄い立派な人生だったと思う。。

俺たちに誇りをくれた。

夢をくれた。。

そして俺には大いなる目標をくれた。。

俺は。

97歳まで。。

生きる!

絶対に。。

人生に目標なんて建てた事はなかったが。

俺の人生目標は決まった。

その歳で何を見た??

何が見えた???

俺も。。

見てぇ。。。

ありがとう。

じいちゃん。。。

いつか俺は。

じいちゃんを超えたい。。。

そして。。

一億円札を作っていたじいちゃん。。



ユーモアは。。

しっかりと。。

受け継いで。。

ます。。。

戦争を経験し、教育者を経験し、ひ孫まで見れたじいちゃん。。

凄く濃い人生を歩んだじいちゃん。。

俺なんか、なんでも用意されてる時代をただただ平和に、無難に生きてるだけだよ。。

そのくせそれでも文句言ってさ。。

まだまだクソガキだね。。

立派になるかは自身がないけど。。

俺。。

まだまだ。。。

頑張るっす。。。

身内が死に、それによってまた家族の団結心も生まれた。。。

カーメンカーメンは。。

不滅です。。
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かめプロフィール

カーメン

Author:カーメン
愛知県のモンスター園芸店「ガーデンガーデン」で三代目店長として存在しています。既婚で3人の子供たちがいます。毎日「ウリィィィィィィ」な気分です。
完全個人的感性で書いていますのでノークレーム・ノーリターンでお願いします。

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